このコンサートの時、確か開催側先輩が写した写真。
私が加藤和彦さん好きで後でいただきました。
しかし彼とこのギターにどれだけ憧れたか・・・メチャクチャカッコよかった。





当時はマーチン何か欲しくたって買える代物ではなかった。
D−35 1973年は何とか買えましたが・・41や45は今だ『何時かは』の物です。


 史郎ちゃんのマスター 

カワセマスターですが、私の同級生に高橋と言う奴がいます。彼は中学時代から独特のキャラで、何でも一人でこって独学してしまう、ある種天才肌な変わり者でした(笑)今もそうかな〜〜?史郎ちゃんが中学3年の頃オーダーし出来上がりが1970年の高校1年の春のことでした。その時は私も彼の家だった磯辺温泉の旅館によく遊びに行き、一緒にギターを弾いたり夜遊びしたものです。最近になりカワセマスターを未だ持っていると聞いた時は感激で、『何時か譲ってね』などとお願いし、今回やっとこさ!手放して頂きました。いわゆる思い出のギター・・彼にとっては当然ですが、私も同じです。
なまいきに当時すでに『ライクーダーはこうチューニング変え(変則チューニング)やるんだ』と、コピーしてたのが今だ鮮明に記憶してたし・・・私にはライクーダーは無理でしょうが、70年代のフォークソングやジェームステーラー1曲くらい弾ける様にしましょう!!(笑)
 史郎ちゃんのマスター 
 史郎ちゃんのマスター 

カワセマスターですが、この時代くらいまででしょうか?このバックの板はなんだ!?
メチャクチャ良い板ではないでしょうか?その後の物と思われるマスターも1本ありますが、
(多分其方の方が高級バージョン?)
でもこんな良い板じゃないです。彼の話では修理板割れでカワセに出したそうですが、『全部交換します』
と電話では言われたそうですが、『これと同じ板はもう2度と入らないから此れを修理でお許しを』
だったそうです。どうも先代のご主人が作ったものではと言われたそうです。
D−35の3Pとは違いダサいラインだが其れが当時の頑張って作ったギターらしく好きです。
見れば見るほど良いな〜〜音だって中々なのです。




物凄くカントリーミュージックな?国産メーカー
《BLUE BELL》
カワセマスターの前オーナーの史郎ちゃんから今年電話が突然きました。『森谷おまえこんなのがでてきたけど欲しい?』
何でも欲しがる何でも集めたがる私は送って頂くのでした。そろそろ桜が咲く頃それは届きました。

1976年でこの値段はたしてどんな音を奏でたのか?
史郎ちゃんはこのメーカーのバンジョーを買うためこのカタログを手にしてたらしい・・・
国産フラットマンドリンも今となってはかなりレアーなのか?
しかしながら1976年良い時代のジャパンオールドです。