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6月のひとこと

『YOKOTA』この名前を見ると、あの若かりし日々を、思い出します・・・・

 中学、高校はフォークにロック、大学生の頃はブルースにソウルミュージック、サーフィンに燃え出した頃にはウエストコーストサウンド、音楽の好みにファッションは合わせて変化していきました。誰も、多かれ少なかれ覚えがある、お馬鹿な青春時代です。私は何でも愉しく遊びたい、だから遊びも真面目にやっていた訳です(笑)。
  高校生の頃は、ファンキーな姉の影響で、休みを利用しては、東京まで出かけました。海外ミュージシャン達のコンサート、新宿の地下1階にあったロック喫茶にたむろし、夜はその下、地下2階のGOGO CLUBで踊っていました。大学に入ればディスコ通い、それにバイト、まったく何をしに大学に行ったのでしょうか?(笑)其の頃からハードロックからソウルミュージックにどっぷり嵌っていく訳です。 同級生のおじさんが、仕事柄、横田基地の人たちと仲良し、とくに黒人音楽が趣味だったらしく友人は皆、黒人さんでした。そんな中に奥さんが日本人、群馬出身、ディスコの経営者がいました。単純な私達は『おおぉ〜ソウルジャン!』みたいな乗りで、怖いもの知らずの私達は、其処のお店にすたこら出かけていきました。ローカルな電車に揺られ、拝島駅から歩いて行った記憶が有ります。お店の名前は『BP』まさしくホンチャンな、感じです。入り口には、二の腕が私の腿くらいありそうなブラザーたち、ダイアナロスのようなセクシー女性、『オイオイマジやばくないか〜??』『まぁ〜おじさんが電話しておいてくれたから大丈夫!?』深呼吸して中に入る、友達にダイアナロスが、『キャナイ ヘルプユ〜〜』『オイオイなんて言ったんだ?何て訳せばいいんだ??』『英語真面目にやっときゃ良かった!』などと冷静になれば分る英語ですら、ソウルトレインの会場に放り出されたおのぼり日本人の様にパニクッテ、いたのでした。
 BPの2人の渋いおじさんたち、リオスと何とかさん、カウンターの中で軽く音楽にあわせスイングしています。『クウ〜ッツ!!渋い、本物ダ〜ッツ!!』ジュークボックスから流れるアメリカから来たばかりの音楽、ビールにソウルフード、時間がたつのも忘れ、本物のソウルに酔っていました。後に影響されやすい年頃の私達は、福生のラッキーテーラーで、ソウルファッションを(ハイウエストのニットパンツにちょうちん袖の土派手なシャツ、それにジャクソンファミリーの様な帽子)オーダーする(笑)2〜3ヶ月の勘違いでした。

何時間遊んだろうか?店を出て、始発電車には未だ時間が有りました。なんとなく朝もやの横田基地周辺を歩いてみました。馬鹿でかいアメ車が基地の中や外の中古車センターに並んでいる様は、日本であってアメリカでした。其の中に妙に沢山あったVWたちが可愛らしく、しかも誇らしそうに見えたのは、朝もやの演出、それとも1974年の夢だったのでしょうか?


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